誘拐 Ⅰ

誘拐

南米コロンビアで第二の人生を始めた武富克彦。しかし、凶悪なテロ集団に誘拐されてしまう。解放交渉は困難を極め、過酷な監禁生活は長期化する。武富の運命はいかに?南米の雄大な大地を舞台に繰り広げられるサスペンス・アクション。

主な登場人物

武富克彦(たけとみ・かつひこ)
この物語の主人公。作中では「私」で登場。佐賀県佐賀市出身。上智大学経済学部を卒業後、郷里の公立中学校で教師になり、コロンビア・ボゴタ日本人学校に赴任。帰国後、公立小学校の校長を務め、佐賀県議会議員を2期(8年)務める。その後、南米コロンビアに渡り、農場を経営。コロンビア産アボカドを日本に輸出し、計画は順調に進んでいるように見えたが……。

アルベルト・ツボイ
日系2世のコロンビア人。カリ市在住。通訳をしている。

エンカルナシオン
コロンビア革命軍(FARC)分離派第14戦線の司令官。アフリカ系コロンビア人。40歳前後でがっしりした体格の持ち主。いかつい顔だが、陽気な性格。

エドゥアルド
コロンビア革命軍(FARC)分離派第14戦線の副司令官。サングラスをかけている。冷淡な性格。

ジャッキー
コロンビア革命軍(FARC)分離派第14戦線の女性兵士。本名はジャクリーン。日本語を理解する。日本で売春をさせられていた姉・ワンダから日本語を習っていた。

リカルド
コロンビア革命軍(FARC)分離派第14戦線の兵士。朴訥な少年。

エルナン
コロンビア革命軍(FARC)分離派第14戦線の兵士。インテリで大学に行くのが夢。

武富知華子(たけとみ・ちかこ)
武富の妻。旧姓・西巻(にしまき)。新潟県柏崎市出身。

藤本太郎(ふじもと・たろう)
在コロンビア日本国特命全権大使熊本県熊本市出身。東京大学法学部を卒業後、大蔵省(現・財務省)に入省。在アルゼンチン日本国大使館書記官を務めた後、名古屋国税局長、主計局次長、関税局長、理財局長などを歴任。国税庁長官に就任し、財務省を退官後、コロンビアに赴任。



誘拐


私は南米コロンビアの太平洋岸にあるバジェ・デル・カウカ県の県都サンティアゴ・デ・カリ市北東部のカジェ62通りに面した住宅街のアパートに部屋を借りて暮らしていた。

そして、そこから北東に約25キロメートル離れたパルミラ市郊外のバリオ・エル・パライソに約1ヘクタールの土地を購入し、「Granja Taketomi(タケトミ農場)」と名付け、アボカドを栽培していた。

農場の管理はコロンビア人のアレハンドロ・ディアスさんとマリアさんの夫妻に任せ、私は週1回、カリ市の自宅から農場に通っていた。


2019年12月17日(火曜日)、私はいつもより早起きして午前5時30分ごろに自宅を出た。

常夏のカリ市は12月でも暑い。この日の最高気温は29.1℃、最低気温は19.0℃。今日も朝から暑い一日になりそうだった。

私は自家用車を持っていないので、いつも移動はタクシーを使っていた。コロンビアのタクシーは黄色い韓国製の小型車だ。

電話でタクシーを呼び、カリ在住の日系2世アルベルト・ツボイ君に同行してもらい、農場には午前7時ごろに到着した。

コロンビアの治安の悪さは肌で感じていた。だから、移動には十分注意を払い、農場に行く時は、ある週は火曜日、次の週は水曜日というように不規則に変えていた。

そして、到着時刻は事前に管理人夫妻に電話で伝え、「午前10時ごろに行く」と言っては午前8時ごろに到着するようにしていた。

誘拐犯に待ち伏せされるのを防ぐためである。

この日も「午前9時ごろに行くよ」と伝えておいて、実際には7時に着いたのである。

2時間ほど農場を巡回し、来週までの作業の指示を与え、腕時計を見ると時刻は午前9時10分だった。

農場を出ようとして、石造りの正門の前に待たせておいたタクシーに戻ろうとした、その時だった。

1台の白い年代物のトヨタ・ランドクルーザーが走ってきて、正門前に停車した。中から3人組の男女が降りてきて、

「この土地を買いたいのですが」

と男の1人がスペイン語で言った。

男はアフリカ系のがっしりした体つきで年齢は40歳前後。もう1人の男はサングラスをかけていて、年齢人相は分からない。

女は二十歳くらいで、長い黒髪を束ね、赤いTシャツにジーンズ姿。3人ともゴム長靴を履いていた。

唐突な申し出に私は戸惑ったが、

「この農場をですか?まあ、中を見るだけならどうぞ」

ツボイ君と男女と5人で農場を見て回り、一通り説明すると、男が土地の広さや値段を訊いてきた。

「申し訳ないが、今日は忙しいので、また日を改めて来てください。この土地を買う気なら、そちらがいくら払えるのか言ってください。私は普段ここにいないので、向かいに住んでいるドン・ディエゴに連絡してください」

と言って、正門から出ようとした。

異変が起きたのはその直後だった。

「¿Qué estás haciendo?(何をするんだ?)」

というツボイ君の声が聞こえ、振り向くとアフリカ系の男がツボイ君の腕をつかんでいるのが見えた。

その瞬間、私も左腕を強くつかまれた。いつの間にか私の隣にいた女が私の腰に冷たいものを突きつけた。

そのまま私とツボイ君は正門前のトヨタ・ランドクルーザーまで引きずられるようにして連れて行かれた。

「¿Qué es eso?(何だ?)」

私は知っているスペイン語でわめいた。が、男2人と女に押さえつけられ、ランドクルーザーのボンネットにねじ伏せられてしまった。

「ファルクだ、ファルク」

と男が言うのが聞こえた。ファルク!私は背中に冷や汗が流れるのを感じた。

コロンビア革命軍(Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia=FARC)の略称だ。まさか、その言葉を耳にするとは思わなかった。

「ファルクだって?」

やっとのことで聞き返した私にアフリカ系の男が答えた。

「そうだ。ファルクだ。FARC分離派のフレンテ・カトルセ(第14戦線)だ」

FARCは中南米最大の左翼ゲリラ組織。

1964年5月27日、伝説的な指導者マヌエル・マルランダにより創設され、マルクス・レーニン主義社会主義革命政権の樹立を掲げ、1980年代からコカイン密輸や営利誘拐を資金源に急速に勢力を拡大させた。

最盛期の2000年頃は約2万人の兵力を誇り、コロンビア全土の3分の1(日本と同じ面積)を実効支配していた。

だが、2002年に就任したアルバロ・ウリベ大統領の徹底的な掃討作戦で弱体化が進み、2012年からコロンビア政府と和平交渉を開始。

2016年11月、コロンビア政府と和平合意を締結した。

その時点で約7000人いた兵士の大半は武装解除に応じ、合法政党「人民革命代替勢力(Fuerza Armada Revolucionaria del Común=FARC)」を創設。事実上解散したはずだった。

しかし、和平に反対する強硬派は「FARC分離派」を名乗り、今もコロンビア国内で麻薬取引などを資金源にゲリラ活動を続けていたのである。


そのFARC分離派が私を誘拐しようというのか?!

ふと、ツボイ君はどうなったのか気になった。一緒に誘拐犯たちにねじ伏せられたはずだが、首を曲げてもツボイ君の姿は見えない。

誘拐犯たちともみ合っているうちに車が走り去る音が聞こえた。すると、ツボイ君は私と乗ってきたタクシーで逃げたのか?

なんだか、ツボイ君に裏切られたような気持ちがした。まさか、彼が私を誘拐犯に売ったのか……?

流暢なスペイン語を操るツボイ君と違い、私のスペイン語は日常会話レベルだ。急に心細くなってきた。

逃げることを考えたが、女が私の腰に銃を押しつけているのが分かった。男たちも銃を持っているはずだ。抵抗は断念せざるを得なかった。

アフリカ系の男が笑って私の体を軽々と持ち上げ、まるで荷物を放り込むようにランドクルーザーの窓から後部座席に押し込んだ。

すかさずアフリカ系と女が私を挟むようにして乗り込んだ。サングラスの男が運転席に座り、エンジンをかけた。

女が自分の首に巻いていた黒いスカーフで私に目隠しをした。これでは何も見えない。

ランドクルーザーは猛スピードで走り出した。

農場があるパルミラ市から南西に約4キロメートルの距離にアグアクララという町がある。パルミラとアグアクララを結ぶ幹線道路を左折し、誘拐犯の車はさらに南西に約3キロのチョンタドゥロという山の中の町に向かっているらしいことが分かった。

車は頻繁に道順を変えながら走っていく。追跡者の有無を確認するためか。どうやらチョンタドゥロを北上し、ラ・ブイトレラに南下し、アヤクーチョを抜け、ケブラーダ・エル・ボリトという川沿いの道を走っているようだった。

舗装道路が途切れ、砂利道になった。車は小石を跳ね上げながら悪路を突っ走った。

車は1時間ほど走り、山の中で停まった。ここでようやく目隠しを外された。

「Es un descanso(休憩だ)」

アフリカ系の男が言った。正直、助かった。さっきから強い尿意を催していたのだ。私は車から降りて、草むらで用を足した。回転式拳銃を持った女が後ろで見張っていた。

車は再び走り出した。元来た道を引き返し、30分ほど走ると、「モンテ・カッシーノ」と書かれた白い正門のある農家らしい屋敷の前で停まった。

辺り一面は農場になっている。道は長い坂になっていて、2人乗りのバイクが砂煙を上げて走っていくのが見えた。

サングラスの男が車を降りて、1人で門の中に入っていった。

しばらくして男は4本のペットボトルのジュースを持って戻ってきた。農家だと思ったが、レストランだったらしい。

「ポストボン」というコロンビアでよく目にするジュースだ。やたらと甘い飲み物で私は好かなかったが、緊張と興奮で喉がカラカラに渇いていたので一息に飲み干した。


車はUターンして元の道に戻り始めた。

運転席の男も片手でハンドルを操りながらリンゴ味のポストボンをラッパ飲みしている。

男はラジオのスイッチを入れ、車内にはバジェナートというコロンビアの民謡が流れ始めた。誘拐犯たちは大音量の音楽の中で楽しそうにおしゃべりに夢中だ。まるでピクニックに来ているようだ。まったくいい気なものである。

少し落ち着いてくると私は冷静に状況を分析しようと試みた。誘拐犯たちは意外に凶暴ではない。銃は持っているが、大人しくしていれば発砲することはないだろう。

逃げたツボイ君のことを考えると無性に腹が立ってきたが、もしかしたら誘拐犯が意図的に見逃したのかもしれない、と考え直した。誘拐犯の目的は私で、ツボイ君は「連絡係」として逃がしたのではないか……?

私が誘拐されたことを私の家族や首都ボゴタ日本大使館に知らせるために解放した、と考えられないこともない。誘拐犯はツボイ君より私の方が金を持っていそうだと踏んだのかもしれない。

コロンビアで日本人が誘拐されるとかなり面倒なことになる。

バブル崩壊後の日本は少子高齢化で国力が衰退し続けているが、いまだに海外では「日本人=金持ち」のイメージが根強い。国民は平和ボケしていて警戒心が薄く、しかも政府は弱腰外交で諸外国から舐められている。脅せば金を出すと足元を見られているのだ。

誘拐犯にしてみればまさに「鴨葱」だろう。一体いくら要求してくるのか?金額によっては払えないこともないが、さりとて簡単に払えば「いい金づる」とみなされ、骨の髄まで搾り取られることになる。

私は隣に座って甲高い声で喋っている女の誘拐犯が気になった。コロンビアは美男美女の多い国だが、彼女も目鼻立ちの整った眉の濃いラテン系の美人だ。

「セニョリータ(お嬢さん)、日本語は分かりますか?」

試みに訊いてみたのだが、意外にも彼女は日本語が理解できた。彼女はジャッキーと名乗った。本名はジャクリーン。コロンビアの公用語スペイン語だが、英語圏の名前が多い。かつて宗主国だったスペインの宿敵イギリスに人気があるのだ。

「ワタシ、ニホンゴ、ワカリマス。ニマンエンネ、ニマンエン」
「ニマンエン?」
「ソウ、ニマンエン。イチマイ、ニマイ、ニマンエン……」

無邪気に「ニマンエン」を繰り返すジャッキーの話をまとめるとこうだ。

ジャッキーの姉・ワンダは日本に留学していた。いや、留学というのは表向きで、実際は日本のヤクザに「介護の仕事がある」と騙され、日本で売春をさせられていたらしい。

来日と同時にパスポートを取り上げられ、半ば監禁同然で客を取らされたワンダが最初に覚えた日本語は「ニマンエン」。つまり、1回の性行為が2万円だったのである。

ワンダは新宿の新大久保や町田で「たちんぼ」の客引きをしていたが、用心棒のイラン人の男とともにオーバーステイで国外退去となり、コロンビアに帰国。ジャッキーはその姉から日本語を覚えたという。

ジャッキーの話を聞いているうちに私はなんだか哀れになってきた。

彼女の話をそのまま鵜呑みにすることはできないが、金に飽かせて発展途上国の女性を食い物にする日本の男がいることは事実だろう。コロンビアは親日的な国だが、こうした話が広まることで対日感情が悪化しないか心配になった。

ジャッキーは「日本は素晴らしい国だ」という。姉が見た清潔な街並み、時間通りにやってくる電車やバス、落とし物をしても返ってくる治安の良さ。そうした「日本の良い面」だけを姉から聞かされたのだろうか……。


ジャッキーと日本語やスペイン語を交えて会話しているうちに誘拐犯たちの素性が次第に分かってきた。

アフリカ系の男はエンカルナシオン。いかつい顔だが、よく笑う陽気な男だ。

車を運転するサングラスの男はエドゥアルド。こいつは何を考えているのかよく分からない奴だが、私のスペイン語が下手なのをバカにして笑っているらしい。虫の好かない男だ。

いつの間にか車は山道の行き止まりに来ていた。

「降りろ。ここからは歩いて行く」

とエンカルナシオンが言った。

「ここはどこなんだ?」

私は鬱蒼と樹木が生い茂る青い山並みを見上げて訊いた。

「ケブラーダ・エル・ボリト川の上流だ」

だとするとパルミラから随分と南下したことになる。直線距離で10キロはあるだろう。

腕時計を見ると正午近い。誘拐されてから3時間近くも車で連れ回されていたのだ。


パルミラは戦前、日本人が移住した町だ。今も日系人が多く暮らしている。

コロンビアはブラジルやペルーに比べると日系人は少ないが、南米の日系移民では最も成功したと言われる。

その鍵はコロンビアの気候風土にある。

コロンビアは赤道直下の熱帯にありながら、国土の中央を標高5000メートル級の長大なアンデス山脈が走っている。アンデスの高地は温帯性気候に属し、年中春か秋のような温暖な気候だ。

おまけに豊富な水資源と日照、肥沃な土壌にも恵まれ、コロンビアに移住した日系人たちは農業で大きな成功を収めることができた。

そもそも何故、一介の日本人に過ぎない私が、はるばるコロンビアに移住しようとしたのか。その経緯を語らねばなるまい。

私は昭和23年(1948年)7月20日、佐賀県佐賀市の農家に生まれた。先祖は佐賀藩鍋島家の家臣だった。

上智大学経済学部を卒業後、故郷の佐賀県で公立中学校の教師をしていた。

その後、1993年から3年間、コロンビアの首都ボゴタ市の日本人学校に赴任した。

当時、コロンビアは「世界で最も治安の悪い危険な国」だったが、3年の赴任中、コロンビアの風光明媚な土地と親切な人々に魅了された。

日本に帰国後、郷里の佐賀県で公立小学校の校長を務めた後、地元の有力者の推薦で佐賀県議会議員選挙に佐賀市選挙区から出馬。2003年から佐賀県議を2期8年務め、2011年に政界を引退した。

引退後の「第二の人生」は「コロンビアで農業をやりたい」と考えていた私は、貯金をはたいてコロンビアに移住し、パルミラ郊外に土地を買って農場経営を始めた。

農家で育った私は農業の経験がある。コロンビアではアボカドを栽培することにした。


アボカドはメキシコ原産だが、3系統1000品種以上あると言われ、世界で流通するアボカドの多くはハス種(グアテマラ系)である。

野生のアボカドは樹高が30メートルにも達する。栽培では接木法が用いられ、整枝もするのでそれほど高くはならないが、それでも10メートルほどの高さになる。

果実の成熟には10~15ヵ月を要し、実に多くの養分が必要なため毎年結実せず、隔年で結実する。

木全体で隔年結実する種と枝ごとに隔年結実する種があり、枝ごとに隔年結実する種では木全体で毎年結実する。

5月ごろに花が咲き、果実の収穫は翌年の11月から12月以降となる。

アボカドは豊富な脂肪分を含み、「森のバター」や「バターフルーツ」と呼ばれ、血中コレステロール値を上げない不飽和脂肪酸でヘルシーである。ビタミンEも多く含まれ、アボカド1個半で成人男性の適正摂取量である10ミリグラムを摂取できる。

ハス種は保存性が高く、未熟な果実を収穫して低温状態で発送すれば、コロンビアから日本への長距離輸送にも十分耐えられる。

2019年現在、コロンビアでは2万ヘクタールで14万8400トンのアボカドが生産されている。

コロンビアでのアボカドの主要生産地はトリマ、アンティオキア、カルダス、サンタンデール、ボリーバル、セサール、バジェ・デル・カウカ、キンディーオの各県。全生産量の86%が以上の8県で生産されている。

コロンビアは世界4位のアボカド生産国。2019年は17ヵ国に3万5760トン(約7100万ドル相当)のアボカドを輸出した。

コロンビア産アボカドの主な輸出先はオランダ、イギリス、スペイン、ベルギー、米国、サウジアラビア、フランスなど。

コロンビア政府はアボカドの対アジア輸出を目指し、2008年から11年に及ぶ交渉を経て、2019年7月31日に日本向けの輸出が解禁された。9月には韓国への輸出手続きを開始した。

2019年11月上旬、コロンビアの太平洋岸バジェ・デル・カウカ県ブエナベントゥーラ市の港から日本の横浜港に向けてコロンビア産アボカド18.3トンが初輸出された。

このアボカド輸出計画がうまく軌道に乗れば、雇用の創出につながり、コロンビア経済を成長させ、貧困の軽減という恩恵をもたらすことができる。

コロンビアを長年苦しめてきたLa Violencia(政治社会的暴力)の根底にあるのは貧困だ。貧困の解消なくして恒久的な平和はありえない。

私の壮大な構想がようやく実現し始めた矢先に、皮肉にも私は反政府組織によって誘拐されてしまったのである。


話を元に戻そう。

私たちは車を乗り捨て、山を登り始めた。

空は曇っていたが、蒸し暑く、10分も歩いていると体中から汗が噴き出してきた。

しばらく行くと、山の上から濃い緑色の軍服を着た男が3人現われた。私は思わず息を呑んだ。男たちが黒光りのする自動小銃を構えていたからだ。ゲリラだ、と私は直感した。

コロンビアに来てからゲリラを見たことは一度もなかった。少なくともカリやボゴタのような大都市にいる限りはゲリラなど目にする機会はない。

だから、ニュースで「政府軍とゲリラが戦闘になった」などと報じられても、どこか遠い世界の出来事のようにしか思えなかった。

「心配するな。彼らは危害を加えない」

エンカルナシオンが私の心の中を見透かしたように言った。エンカルナシオンは3人の男たちと握手を交わした。

「どこに行くんだ?」
「もう一息だ。もうすぐ我々の本拠地に着く」

さらに20分ほど山を登った。全身汗みずくだった。雲が太陽を遮り、風が心地よく肌をなぶった。

「ここで少し待っていろ」

とエンカルナシオンに言われ、私は3人のゲリラとともに残された。3人ともまだ若い。私は疲れ切って草の上に腰を下ろした。

1時間ほども待たされ、エンカルナシオンとエドゥアルド、ジャッキーが戻ってきた。3人とも軍服に着替え、小銃を持っていた。

「さあ、行こう」

山頂部と思われるところに彼らの本拠地があった。鬱蒼とした樹木に覆われ、昼でも薄暗いが、我々が登ってきたところまで見下ろせる位置にあった。

なるほど、これなら誰かが山に登ってくればたちどころに分かる。ゲリラにとって絶好の隠れ家なのだろう。


ゲリラの隠れ家は山頂の森の中にあった。テントがいくつも並び、屋根には草をかぶせていた。カモフラージュするためだ。

「さあ、ここだ。ここが君のテントだ」

エンカルナシオンに案内された。テントの床にはクッション代わりの草が敷き詰められていた。その上に汚いカーペットが敷いてあり、毛布が一枚畳んで置かれていた。

目の細かい黒いモスキートネット(蚊帳)も吊ってあった。山の中だからヤブ蚊がひどいのだ。

蚊帳の中に入り、やれやれ、と思って身を横たえた。敷かれた草がふかふかしていて、寝心地は悪くない。

しばらくして、15歳くらいの少年がアルミの食器を持ってきた。

「昼食です。食べてください」

食器の中身はライスとフリホーレスという煮豆。それに小ぶりのジャガイモが2個入っていた。

朝早くから何も食べていなかったのだ。思わず腹の虫が鳴った。塩で味付けしただけの質素な食事だったが、あっという間に平らげた。

「グラッシアス(ありがとう)」

と言って食器を返した。腹が満たされると安心したのか急に眠気が襲ってきた。私は粗末な寝床に身を横たえた。


目が覚めるともう夕方の5時だった。さっきの少年がやってきてアルミの食器を渡した。夕食だった。

ライスと煮豆にパスタを混ぜたものが入っていた。あまり食欲はなかったが、食べた。これから先のことを考えると、今は十分に栄養と休養を取らねばならない、と思った。

少年に食器を返し、名前を訊いてみた。少年はリカルドと名乗った。

「暗くなったら出歩かないでください。今のうちにトイレを済ませておいてください」

と言われ、ゲリラの作ったトイレに案内された。

トイレは地面に深い穴を掘り、周りを草で覆っただけのシンプルなものだった。

掘った土は穴の横に積み上げてあった。用を足した後、穴に土をかぶせれば臭いはほとんどしない。意外に衛生的だった。

ゲリラの隠れ家は私のテントを中心にゲリラのテントが円陣を組むように並んでいる。私の逃亡を防ぐためだろう。

あとは炊事場とトイレ。20メートル四方ほどの空間に私と15人のゲリラが生活するのだ。

夕食が済むと、あっという間に暗くなってきた。急いで用を済ませ、テントに戻った。


就寝前になって、エンカルナシオンがやってきた。

「君のファミリア(家族)に身代金を要求する。電話番号を教えてくれ」

ついに来たか。私はあらかじめ考えておいた返事をした。

「私は独り者なんだ。家族はいない」
「奥さんや子供はいないのか?」
「妻とは離婚した。今は日本にいる。コロンビアにはいない」

私の妻・知華子(旧姓・西巻)はコロンビアに来ていたが、今年9月、日本に帰国し、実家のある新潟県柏崎市にいた。90歳になる母親の介護のためだ。

3人の娘もそれぞれ独立し、日本で暮らしている。だから、コロンビアに家族がいないというのは本当だった。

離婚したと嘘をついたのは、妻の実家に迷惑をかけたくないからだった。私から金を取れそうにないとなれば、妻の実家に身代金を要求するかもしれない。

「セニョール。コロンビアでは何をしていたんだ?」
「私はペンシオニスタ(年金生活者)だ。日本では教師をしていた。引退後にコロンビアで土地を買って農業をしていただけさ。私の農場が欲しいならくれてやる。私の財産はあの土地だけだ」
「なるほどな。コロンビアにアミーゴ(友達)はいないのか?」
「アミーゴはあんただけだよ」

とぼけて言うと、エンカルナシオンは大声で笑った。

「オーケー、オーケー。だがな、セニョール。あんたは日本から多額のドルを持ってコロンビアに来たという噂だぞ」
「そんな話は出鱈目だ。誰が言ったんだ?」
「ハポネス(日本人)だよ」
「日本人?一体、誰なんだ?セニョール・ツボイか?」
「違うね」
「コロンビアに日本人は少ないはずだが……」

私は思考を巡らせた。私がコロンビアで農業をしていることを知っている日本人は少ない。佐賀の家族や知り合い、コロンビア在住の限られた日本人くらいだ。

「私がドルを持っているという話をどこで聞いた?」
「その日本人が教えてくれたのさ。セニョールの農場に案内してくれたのも彼だよ」
「なんだって?」

私の農場に来たことのある日本人はさらに限られている。身体的特徴を訊けば絞り込めそうだった。

「その日本人は背が高かったか?」
「普通だな。低くはない」
「眼鏡をかけていたか?」
「ノー」
「カルボ(ハゲ)か?」
「髪の毛はそんなに多くないな」

考えられるのはあの男しかいない。仮にAとしておこう。コロンビアに長いこと住んでいるはずだが、カリにはいないはずだ。最後に会ったのはかなり前だが、あいつ、どうしてそんな出鱈目をゲリラに吹き込んだのか……?

私に恨みがあるのか。それとも別の目的か。コロンビアでは商売敵をゲリラに売って潰すという話を聞いたことがある。それにしても、ひどいことをする奴だ。

「セニョール。あんたの自宅には誰もいないのか?」
「秘書はいるが、もう帰ってしまったかもしれない」
「まあいい。電話番号を教えてくれ」

エンカルナシオンは軍服のポケットからメモ帳を取り出した。私はカリの自宅の番号と、暗記していたボゴタ日本大使館の番号を言った。

すでにツボイ君が私の誘拐を警察に通報しているかもしれない。コロンビア警察からボゴタ日本大使館にも連絡が入っているだろう。

エンカルナシオンは私の自宅と日本大使館の電話番号をメモすると言った。

「いいか、ここから逃げようなんて考えるんじゃないぞ。生きて帰りたければ大人しくすることだ。あんたがなるべく早く帰れるよう、できる限りのことはするつもりだ。だから、あんたも協力してほしい」
「分かった」
「私がコマンダンテ(司令官)で、エドゥアルドはサブ・コマンダンテ(副司令官)だ。私は我慢強い男だが、エドゥアルドは気の短い男なんでね。私がいなければ何をするか分からんぞ」

エンカルナシオンが脅すように言うと、いつの間にか来ていたエドゥアルドが自動小銃銃口を私に向けて言った。

「Si corres, te mato(逃げたら殺すぞ)」

私はゾッとした。暗くなってもサングラスを外そうとしないエドゥアルドは不気味だった。


2019年12月18日(水曜日)、誘拐から2日目。

ゲリラの朝は早い。午前5時に起床。人質の私は午前6時起床だった。

「ブエノス・ディアス(おはようございます)」

テントから這い出した私はゲリラたちと挨拶を交わした。これからどのくらいここにいることになるか分からない。人間関係は重要だ。ゲリラとつかず離れず、適度な距離感を保ちながら、うまくやっていくしかない。

山は深い霧に包まれていた。カリは常夏だが、山の中の朝晩は冷える。私は思わず身震いした。

リカルドがポリ容器に入れた水を持ってきた。

「これで顔を洗ってください。それと歯磨きも」

そう言ってリカルドはタオルを渡し、歯ブラシにチューブ入りの練り歯磨きを塗りつけた。何から何まで親切な少年だ。

コロンビア人は歯をとても大切にしている。みんな歯が白くて歯並びもよい。特にゲリラは念入りに歯を磨く。理由は簡単。山の中に歯医者なんていないからだ。

6時半に朝礼があり、エンカルナシオンが兵士を集めて必要事項を伝える。朝食は8時半。

朝食の準備は当番のゲリラがやらされる。彼らは4時起きだ。水は山の下を流れるケブラーダ・エル・ボリト川から汲んでくる。かなりの重労働だ。

リカルドが私に朝食の入ったアルミ容器を渡した。彼が私の世話役のようだ。朝食はプラタノという調理用バナナを潰して油で揚げたパタコンにジャガイモをドロドロになるまで煮込んだスープだった。

パタコンはコロンビアの食卓に欠かせない食材だ。どこに行っても必ず肉料理や魚料理に添えて出てくる。味は甘くないサツマイモの天ぷらのようで、私はあまり好きではない。

食後はコーヒーが出た。炊事場のかまどに大鍋があり、当番のゲリラが煮出したコーヒーに黒砂糖の塊をナイフで削って投げ入れる。この甘いコーヒーをティントという。

スペイン語でtintoは赤ワインの意味だが、コロンビアではコーヒーを意味する。

さすがに世界的なコーヒー産地だけあってコーヒーはよく飲まれる。が、コロンビアのコーヒーは正直、あまり美味しくない。

上質のコーヒー豆はすべて輸出に回してしまうので、国内に出回っているコーヒー豆は粗悪な「不良品」ばかりなのだ。

私はブラックが好きだが、コロンビア人がコーヒーにたっぷりと砂糖を入れるのは味を誤魔化すためなのかもしれない。

しかし、山歩きで疲れた体が糖分を欲しがるのか、甘ったるいティントは美味かった。


昼頃から急に天気が悪くなり、雨が降ってきた。

コロンビアは3~5月、9~11月が雨季となる。しかし、今は世界的な異常気象で雨季が長引く傾向にあり、カリも12月なのに毎日のように雨が降っていた。

熱帯でも雨が降ると急に気温が下がる。私はテントの中で毛布にくるまった。これからのことを考えているうちに、いつしか眠ってしまった。我ながらよく眠る。呆れたものだ。

夕方近くなって、エンカルナシオンがやってきた。

「セニョール。あんたの家につながったぞ」

そう言って、エンカルナシオンがスマートフォンを私に手渡した。

こんな山奥のゲリラでも文明の利器を持っているのだ。コロンビアのスマホは高い(日本円で15万円ほど)が、スマホ中毒が社会問題になるほど普及している。インターネットとスマホの普及率は日本より高いのではないか。

「アロー?アロー?セニョール・タケトミですか?」

聞き慣れた声は秘書のアイーダだった。カリの自宅は私の会社の事務所兼用で、昼間は現地採用アイーダとお手伝いのイサベルが来ている。

「私だ。元気です」

電話口でアイーダが「オー」と大げさに安堵のため息をついた。すぐに通訳のツボイ君に代わった。

「武富さん、無事ですか?ツボイです」
「ええ、無事です。君も大丈夫ですか」
「あのあとカリに戻りましてね、アイーダさんに会ったら武富さんが帰ってこないというので警察に届けて、一晩中待ちました。今朝になってゲリラから連絡がありまして、今日の夕方4時にもう一度連絡するというので、アイーダさんと待っていたんです」
「そうでしたか。ご迷惑をおかけしました」
「ゲリラは5日後の12月23日午前9時にまた連絡するそうです。その時に解放交渉を始めるというので、23日にカリでアイーダさんとお待ちしています。あと、それからボゴタ日本大使館の藤本さんにも連絡しました。藤本さんは必ず助けると言っています。安心してください」
「分かりました。よろしくお願いします」

そこで電話は切れた。エンカルナシオンがスマホを取り上げたのだ。逆探知を恐れているらしい。

とりあえず私はホッとした。ツボイ君と在コロンビア日本大使の藤本氏と連絡が取れたのだ。今後は長くなるだろうが、落ち着いて解放に向けた交渉を進めていけばよい。

私は生来、あまりクヨクヨと物事を考えない性格だ。人生は運不運。人間の努力ではどうにもならないことが多すぎる。できることだけやって、あとは運を天に任せるしかない。あれこれ考えたって、なるようにしかならないのだ。

エンカルナシオンが言った。

「明日は天気がよければ朝食後に水浴びと洗濯を許可する。この下の川に行ってやってこい。ただし、午前10時半までだ。昼食は午後0時半。夕食は5時半。就寝は7時だ。いいな?」
「シー(はい)」
「今後は何をするにも私の許可を取ること。許可なく動き回れば逃亡とみなす」

逃亡はTiro(銃殺)だ、と彼は素っ気なく言った。

夜は急に冷えてきた。毛布にくるまるとドッと疲れが出てきて、瞬く間に睡魔に落ちていった。


2019年12月19日(木曜日)、誘拐から3日目。

この日は朝から晴れだった。

朝食後、私はゲリラたちとケブラーダ・エル・ボリト川で水浴びと洗濯をするために山を下った。

ゲリラの隠れ家から川まではかなりきつい傾斜になっている。上り下りするだけで30分はかかる。足場が悪く、私は木の幹につかまりながら慎重に下りた。

川の上流は小さな滝になっていた。急な岩場に清流が流れている。ゴツゴツした石ころの上を転ばないように歩き、靴を脱いで大きな岩の上に置いた。

リカルドから石鹸とバスタオルをもらい、着ていたものを脱いでパンツ一枚になった。川の水は冷たかった。

私は郷里・佐賀市の古湯温泉を思い出した。アルカリ性単純温泉で、水素イオン濃度がph9.5と全国でもトップレベルの高さ。「美人の湯」で知られるが、泉温は38℃とぬるま湯だ。

石鹸で体中を泡だらけにし、アルミの食器で水を汲んで洗い流した。衣服も洗濯した。ジャッキーが着替えを持ってきた。

「サイズは合うと思うけど、大きかったら言ってちょうだい」

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラ肖像画がプリントされたTシャツとパンツ。それにゲリラが着る濃い緑色の軍服だった。

腰にバスタオルを巻いて着替えた。ゲリラたちがそうするのを真似したのだ。

コロンビアには日本のような温泉や銭湯はない。温泉はあるが、水着着用で入浴する。したがって人前で裸になることはない。水浴びをする時もパンツ一枚で川に入り、必ずバスタオルを巻いてから着替える。

日本人に混浴の習慣があると知ったら、コロンビア人はびっくり仰天するだろう。コロンビアはキリスト教カトリックの国なので、性道徳には厳しいのだ。

軍服は私の体には少し大きいようだった。軍服を着ると見た目はゲリラと変わらなくなった。軍服を着せたのは人質と見分けがつかなくするためだろう。

もっとも、軍服の方が動きやすいので、以後はこれを着て過ごすことにした。

体を洗ったのでさっぱりして、隠れ家に戻った。帰りは山登りだ。リカルドが川の水を汲んでポリ容器に詰め、急な斜面を登っていく。ゲリラというのも辛い仕事だと思った。

洗ったものを木の間に縄を張って干した。朝から気温が上がり、洗濯物はすぐに乾いた。

戻るとすぐに昼食の準備だ。ゲリラたちは統制が取れていて、誰もが無駄なくよく働く。コロンビア人はラテン系だが、働き者が多い。寡黙で勤勉なところは日本人に似ている。

昼食はライスにパタコンに煮豆。朝昼晩と三食とも似たような質素な食事だ。こんな山の上まで食料を運ぶのも並大抵ではないのだろう。

昼食後は何もすることがないのでテントで横になっていると、どこからともなくヘリコプターの爆音が聞こえてきた。

コロンビアの軍と警察が私を捜しているのかもしれない。何とかして居場所を知らせようと思ったが、うかつなことはできない。

エンカルナシオンが来て言った。

「セニョール。あんたのことがニュースになっている。ガウラがあんたを捜し回っているらしい」

ガウラは拉致対策警察隊(Grupos de Acción Unificada por la Libertad Personal=GAULA)のことだ。多発する誘拐事件に対処するため、1996年に創設されたコロンビア警察の特殊部隊である。

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拉致対策警察隊(GAULA)



まだ身代金の交渉は始まっていない。うまくいけば身代金を払わずに救出されるかもしれない。わずかな希望が芽生えてきた。

と同時に、救出作戦が失敗して殺される情景が脳裏に浮かんだ。誘拐された人質が無残にも殺害されたケースはいくらもある。

私の不安は的中した。夕方になって突然、エンカルナシオンが隠れ家からの撤収を命じたのだ。

「これから移動する。暗くなるからはぐれないよう気をつけろ」

ゲリラたちはテントを片付け、荷物をまとめ、すぐに撤収の準備を終えた。整然とした行動はさすがに訓練されていた。

武器やテント、食料などを詰め込んだリュックの重さは30キログラムにもなるという。ゲリラたちは重たいリュックを軽々と担ぎ、一列に整列して行軍を始めた。

あっという間に日が暮れた。夜の山は墨を流したような闇に包まれる。先頭を行くゲリラの懐中電灯の明かりだけだ。ゲリラたちは非常に視力が良く、暗闇でも迷わずに歩く。

こんな山の中ではテレビやパソコンもない。目を酷使することもないのだろう。

私は前を行くリカルドのリュックにつかまっていないとすぐに道を見失いそうだった。足元は木の根や窪みがあるので相当に注意しないと転びそうになる。

後ろから銃を持ったゲリラが来るので足を止めるわけにはいかない。慣れない山歩きで私の鈍った足は棒のように突っ張り、痛くて何度も立ち止まりそうになった。

山を下りたり登ったり、どこをどう連れ回されたのか覚えていないが、死に物狂いで暗夜の山道を歩き続けた。

ようやく次の宿営地にたどり着いたのは2時間後だった。ゲリラたちは素早くテントを張り、私は精根尽き果てて泥のように眠り込んだ。


2019年12月20日(金曜日)、誘拐から4日目。

今日は朝から雨が降っていた。

昨夜の強行軍でクタクタに疲れていた。体中が痛く、私は起床後もすぐにはテントから出られず、カチカチになったふくらはぎを丹念に揉みほぐした。

リカルドから雨具を借り、テントから出て辺りを見回す。昨夜は暗くて分からなかったが、山の下に川が流れているのが見えた。

かなり遠くに来たと思ったのだが、最初の宿営地から川の上流を迂回して、対岸に移動しただけだと分かった。

しかし、周りは見渡す限りの山、山、山である。起伏の激しい土地で、おまけに深い森が広がっている。雨が降ればどろんこのぬかるみだ。軍や警察が救出に来るのも容易ではない。

コロンビアが世界最悪の誘拐大国と呼ばれた理由が分かる。

日本の3倍にも及ぶ広大な国土。険阻な山岳に鬱蒼たる密林。人質の監禁場所には困らない。軍と警察の力が及ぶ範囲は限られており、ゲリラや無法者が横行しやすい環境が整っているのだ。

朝食が出た。ジャガイモを小さく切って煮たスープだけ。こんな山の中ではこの程度の食事を用意するのも大変なのだろう。

疲れているので、この日はずっとテントで寝ていた。雨が降ると肌寒いが、晴れた日はテントが陽にあぶられて日中は居たたまれなくなる。雨の日は過ごしやすいのが幸いだった。

ガウラが私を捜していると聞いて希望が湧いたが、この分だと解放までかなりの時間を要することになるだろう。年内の解放は諦めた方が良さそうだ。

交渉が始まるのは23日からだ。一体、ゲリラは私の家族にいくら要求するつもりなのか?


2019年12月21日(土曜日)、誘拐から5日目。

この日も雨。朝食後、私はエンカルナシオンと交渉してみた。

「先日も言ったように私は年金暮らしの老人で、財産と呼べるようなものは何も持っていないんだ。君は私をリコ(金持ち)だと思っているようだが、それはとんでもない誤解だ」

身振り手振りを交えてかなりオーバーに訴えた。外国人には派手なジェスチャーが効果的だと思ったが、エンカルナシオンは浮かない顔をしている。

「いくらなら払えるんだ?」
「コロンビアの銀行に5000万コロンビア・ペソ(約150万円)ほどの預金がある」
「たったの5000万ペソ?」
「なけなしの金だよ。足りないなら土地を売って金を作る。私はもう若くないし、こんな山の中ではいつ病気になって死んでしまうか分からない。早く解放しないと金にならないぞ?」

私は脅すように言ったが、エンカルナシオンは苦笑して取り合おうとしない。

「言ってみてくれ。一体、いくら要求するつもりなんだ?」
「30億ペソ(約9500万円)だ」
「トレス・ミル・ミロネス!(30億!)」

いくらなんでもふざけている。1億円近い大金を用意できるはずがない。

教員時代の蓄えはコロンビアに移住するための費用でとっくに使い果たしてしまっていた。

佐賀県議を2期8年もやったのでカツカツなのだ。政治家は金持ちだと思う人もいるが、政治活動というものはとにかく金がかかる。言うほど儲かる商売ではない。

「まあいい。交渉が始まるのは2日後だ。それまでに金の算段をじっくり考えておくんだな」

エンカルナシオンは笑って言った。

リカルドが食事を持ってきた。朝から晩まで懸命に働く無口な少年だ。私は彼にゲリラから給料をいくらもらっているのか訊いてみた。

「ノー。ディネロ(お金)はもらえません」
「なんだって?君はタダ働きしているのか?」
「はい。食事と着替えをもらうだけです」

リカルドの話によると、ゲリラの兵士は年中無休で給与もボーナスもなし。年に2回、上着と下着の支給を受けるだけだという。

年端もいかぬ少年に毎日、重労働をさせながら無給とは驚いた。日本のブラック企業も真っ青の劣悪な労働環境ではないか。

彼らは常にコロンビア政府軍に追われている。いつ戦死するか分からない。命の危険と背中合わせの生活だ。文字通り「命がけ」の職場なのである。

ゲリラは身代金誘拐とコカインの密輸で毎年、莫大な軍資金を稼いでいる。銃や弾薬を買っても有り余るほどの金を持っているはずだが、少年兵にタダ働きをさせているのだ。

FARCは社会正義の実現とか、不平等を正すために武器を取って戦っていると宣伝している。が、やっていることは盗賊と変わらない。

コロンビアは決して貧しい国ではない。石油や石炭などの天然資源が豊富にある。ただ、貧富の格差の激しい階級社会なのである。

金持ちの手から政治を取り戻し、コロンビアの人民による人民のための政府を作ると喧伝しているゲリラも、結局は弱者から搾取しているだけではないのか?

私は無性に腹が立ってきた。リカルドのような少年を一刻も早くゲリラから解放してやらなければならない。それには何としても生きてここから出ることだ。

「リカルド。君は何故、ここにいるんだ?」
「生きるためです。ぼくにはここしか居場所がない」
「政府とFARCは和平合意を結んだはずだ。君も武器を捨てて家に帰りたくないのか?」
「ぼくには帰る家がありません」
「ポルケ?(どうして?)」
「ぼくの家は貧しくて、ぼくは8歳の時に捨てられました。ホームレスをしながらボゴタに行きました。でも、警官に見つかると殴られるんです。孤児院に入れられましたが、そこで先生にレイプされたので逃げました。ゲリラがぼくを拾ってくれました。ぼくにとってはゲリラが家庭であり、唯一の居場所なんです」

リカルドの壮絶な生い立ちを聞いているうちに私は不覚にも涙があふれてきた。

彼のような孤児は平和になっても帰るべき家庭もなく、この社会に安住の地はないに等しい。

社会から排除されたリカルドのような少年はゲリラという受け皿がなければ生きていく術もない。

平和、平和とお題目のように唱えたところで、この少年には何の救いにもならない。所詮は「平和な世界しか知らない平和ボケ日本人の自己満足」に過ぎないのだ。

引退後の第二の人生をコロンビアで農業をやりながら、この国を変えたいなどと甘い夢を描いていた私は暗澹たる絶望感に打ちのめされた。

だが、こうも考えた。この子を私の農場で雇えないだろうか。彼に仕事と住居を与えれば、社会復帰も決して不可能ではないはずだ。


2019年12月22日(日曜日)、誘拐から6日目。

この日は午前中晴れ。午後から雨が降った。

朝食後、ケブラーダ・エル・ボリト川に下って水浴びと洗濯をする。

昼食後は何もすることがなく、私は肌身離さず持ち歩いている手帳にボールペンで日記をつけた。

ここで起きたことをなるべく詳細に記録に残しておきたかった。紙は貴重品だ。小さな字でぎっしり書くことにした。

ゲリラたちは1日に数回の点呼を受け、エンカルナシオンの「鶴の一声」でロボットのように動く。ラテン系はルーズな印象だが、ゲリラたちは行動のすべてに少しの無駄もなく、油断がなかった。

ゲリラたちの服装は全員が濃い緑色の軍服にゴム長靴。肩からアメリカ製のアサルトライフルを下げ、4個の弾倉と手榴弾を1発ぶら下げている。

弾倉には常に30発の実弾を装填している。彼らは暇さえあれば銃を分解し、油を染ませたウエス(布)で丹念に拭いていた。実戦で役に立たなければ話にならないのだ。

FARCは反米と反帝国主義を掲げているのに、米国製の武器を使うことに矛盾を感じてはいないのだろうか?

ゲリラは無学な若者ばかりかと思ったが、エルナンという二十歳くらいの青年兵士は意外に教養がある。大学に行くのが夢だという。

「こんな山の中にいても世界のことはだいたい知っているさ。毎日ニュースを聞いているからな」

エルナンは日本製のトランジスタ・ラジオを持っていた。これで世界中のニュースを知っているのだという。ラジオのニュースはベネズエラの政情不安や中東情勢を伝えていた。

日本についてどう思っているのか訊いてみた。エルナンは、

「日本はアメリカに原爆を落とされたんだろ?ヒロシマナガサキは知っている」

という。さらに、

「日本は原爆を落とされたのに、どうしてアメリカに味方するんだ?」

と逆に質問された。私は返事に窮した。

中国や北朝鮮の軍事的脅威があるから、アメリカと同盟を結ぶしかないのだ、と言おうかとも思ったが、エルナンは戦争に負けた日本が米国の属国に甘んじているのが理解できないようだった。

コロンビアは南米随一の親米国家である。朝鮮戦争(1950~1953)では中南米で唯一、国連軍を派遣した国だ。

しかし、政府は親米でも国民は必ずしも親米というわけではない。豊かなアメリカで成功を夢見るコロンビア人は多いが、彼らは自国の富を収奪していく米国に羨望と憎悪の念という複雑な感情を抱いているようだった。

見張りのゲリラたちも退屈を持て余しているのだろう。自然とお互いの身の上話になった。

ゲリラには女性も多い。私を誘拐したゲリラ部隊はジャッキー、アンナ、デルシーと3人の女性兵士がいた。いずれも若く、最年長のジャッキーが20代前半。アンナとデルシーは10代後半だった。

コロンビアの女性はとても大人びて見える。高校生くらいの女の子でも見た目はもう立派な大人だ。凜とした美しさがある。

私はスペイン語と日本語を交えてジャッキーと話し合った。

「ジャッキー。君はどうしてゲリラに入ったんだ?」
「尊敬されるからよ」
「レスペト?(尊敬?)」
「この世界ではお金と権力が最も重要なの。お金と権力のない人間に世の中は残酷だわ。お金さえあれば父も姉も死ぬことはなかったかもしれない」
「お父さんとお姉さんはどうして死んだの?」

ジャッキーの話をまとめるとこうなる。

彼女の父親ミゲルはカリでタクシーの運転手をしていたが、強盗に殺されてしまった。なけなしの売り上げ金を奪われそうになり、抵抗したために射殺されたのだ。

大黒柱を失い、一家は生活に困窮した。姉のワンダは大学進学を諦め、カリのスーパーで働いている時に「日本で介護の仕事がある」と騙され、ヤクザに連れて行かれて日本で売春をさせられた。ワンダの仕送りがなければ一家は路頭に迷っていただろう。

コロンビアに帰国後、ワンダは日本での忌まわしい経歴を隠して結婚したが、夫はカリの犯罪組織のメンバーだった。

結婚してまもなく、ワンダはカリのレストランで夫と食事中にシカリオ(殺し屋)に撃ち殺された。犯人は逃走し、警察は「麻薬取引を巡るトラブル」と発表した。

ジャッキーには何人か兄弟がいたが、いずれもカリのギャングに入り、殺し屋や麻薬の売人で生計を立てているという。一家は離散してしまったのだ。

ジャッキーは言った。

軍服を着て銃を持っていると女でも尊敬される。この冷酷な世界で権力のない人間は誰も守ってくれない。銃は権力の象徴であり、権力を持たない人間は誰からも尊敬されないのだ……。

コロンビアでは家族や身内に殺人事件の被害者がいないという人は少ない。残念ながら、こうした悲劇はコロンビアでは珍しくもないのだろう。


国連の犯罪調査統計などによると、2017年のコロンビアの10万人当たりの殺人発生率は25.2人(日本は0.24人)。コロンビア国内紛争による犠牲者は含まれていない。

ちなみに世界1位は中米のエルサルバドルで61.71人。2位は南米のベネズエラで59.56人。3位はカリブ海のジャマイカで56.39人。上位を中南米の国々が占めている。

日本人が被害に遭ったケースとしては、2016年11月、コロンビア西部アンティオキア県の県都メデジン市で、旅行中の日本人大学生が強盗に射殺された事件がある。

しかし、2017年のコロンビアの殺人発生率の順位は世界20位。10位の南アフリカ共和国(35.67人)、12位のブラジル(30.74人)、19位のメキシコ(25.71人)、より低い。

コロンビアだけが特に治安が悪いというわけではないのだ。

かつてコロンビアは世界で最も治安の悪い危険な国だった。

1990年代の殺人率は77.5人で世界1位だったが、2002年に就任した中道右派のアルバロ・ウリベ大統領政権下で強力な治安回復政策が進められ、2012年の殺人率は30.8人にまで減少した。

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アルバロ・ウリベ

2002年に2882件も発生していた誘拐事件も、2010年には282件と10分の1に激減した。

劇的な治安の改善で外国からの投資や観光客も増え続けており、ラテンアメリカ諸国ではブラジル、メキシコに次ぐ直接投資額(2018年、139億ドル)で、南米で最も高い経済成長率を記録していた。

こうした状況を踏まえて、私はコロンビア移住を決意した。

豊富な資源。温暖な気候。勤勉な国民性。この国には無限の可能性がある。

最大の反政府ゲリラ組織だったFARCも解散し、日本人が誘拐されることはないだろうと思っていた。

しかし、その考えは甘すぎたのだ。


FARCとの停戦を実現させたフアン・マヌエル・サントス大統領は2016年、その功績が認められ、ノーベル平和賞を受賞した。

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フアン・マヌエル・サントス

コロンビア人のノーベル賞受賞者は1982年に文学賞を受賞した作家ガブリエル・ガルシア・マルケス以来、2人目だった。

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ガブリエル・ガルシア・マルケス

1960年代から50年以上も続き、26万人もの犠牲者と740万人以上の国内避難民を生み出した「世界で最も長い内戦」と呼ばれるコロンビア国内紛争は、ようやく終息の兆しが見え始めていた。

長年の悲願だった平和の訪れにコロンビア国内は祝賀ムードに包まれていた。

ところが、これに水を差すような出来事が起こる。

2016年10月2日に行なわれた和平の是非を問う国民投票では、サントス大統領が推し進めてきたFARCとの和平合意が僅差で否決された。

コロンビア国民は過去に多くの殺人や誘拐に手を染めてきたテロ集団との和平にノーを突きつけたのだ。

サントス大統領は国会での審議で和平を承認させたが、テロリストが無罪放免になる和平への批判は根強く、2018年6月の大統領選では和平反対派のイバン・ドゥケが当選した。

イバン・ドゥケ
イバン・ドゥケ

FARCとの和平見直しを公約に掲げるドゥケ大統領の下で、コロンビアの和平プロセスは危殆に瀕していたのである。

2019年8月29日、FARC武闘派のイバン・マルケスは突如として「武装闘争の再開」を宣言した。

イバン・マルケス
イバン・マルケス

コロンビア政府とFARCの和平合意以降、武装解除したFARCの元兵士が次々に暗殺者の凶弾に倒れており、FARCによれば2016年11月以降の2年半に150人以上が殺害された。

一説では、コロンビア政府に雇われた殺し屋が元兵士を「始末」しているとも言われ、犯人は1人も捕まっていない。政府は武器を捨てたゲリラの保護に消極的だと批判されていた。

マルケスはビデオ声明の中で「世界中の人々は抑圧に立ち向かうため武器をとる権利を持っている」と高らかに宣言し、再び武器を手に政府に戦いを挑むことを言明したのである。

合法政党となった「人民革命代替勢力(FARC)」の党首ロドリーゴ・ロンドーニョは「元兵士の大半は和平を尊重する」と釈明し、ゲリラ闘争に戻ったマルケスら強硬派を激しく非難、除名処分にした。

ロドリーゴ・ロンドーニョ
ロドリーゴ・ロンドーニョ

マルケスに同調するゲリラは約2000人。これとは別に和平に反対してFARC主流派から離脱したFARC分離派は約1500人。マルケスはFARC分離派との共闘も視野に入れているという。


コロンビアの紛争は非常に分かりにくい。ゆえにパレスチナ紛争のように国際的な注目を集めることもなく、「世界から忘れられた戦争」となっていた。

横暴な大地主から農民を守るための自衛組織として出発したFARCは、その資金源を麻薬や誘拐に依存するようになった。反体制派を名乗ってはいるが、実態はたんなる犯罪者集団に過ぎない。FARCの支持率は1%にも満たないのだ。

FARCやELN(民族解放軍)、EPL(人民解放軍)を名乗る大小無数のゲリラ組織に対抗するため、政府や大地主が雇った私兵組織(パラミリターレス)も暗躍しており、彼らもその資金源を麻薬取引に求めていた。

紛争の背景には麻薬利権を巡る争いがある。だから、和平が成立しても争いは消えない。新たにゲリラ同士の縄張り争いが始まるのだ。

ゲリラにとって誘拐はひとつのビジネスに過ぎない。金を取れそうなところから取る。金を持っていそうな人間なら、日本人でも、アメリカ人でも、中国人でもいいのだ。

しかし、私は現役を引退したしがない年金生活者に過ぎない。大企業の重役や富豪でもない私を誘拐したところで、得られるものなどたかが知れている。巨額の身代金を奪取できるわけがないのだ。

海外に進出する企業は「誘拐保険」に加入している。

アメリカなどの保険会社に高額の保険料を支払っていれば、自社の社員が海外で誘拐されると専門のネゴシエーター(交渉人)が現地に飛び、誘拐犯と交渉し、身代金を受け渡して人質を取り戻す。

交渉の実態は決して表には出てこないが、こうした裏取引があればこそ、誘拐は今や世界規模の巨大な産業となっているのだ。

ラッセル・クロウメグ・ライアン主演の2000年のアメリカ映画『プルーフ・オブ・ライフ』は、知られざる「誘拐ビジネス」の実態に迫った作品だ。

無論、私のような一般人が誘拐保険に入っているはずもなく、誘拐する相手を間違えているとしか言えない。

そのことをゲリラたちに理解させるにはどうすればよいのか……?